人間の欲求はとどまるところを知らないのか?
人間の欲求とはどこまで続くのだろうか?
より大きな成功、より大きな報酬、より高価な持ち物…。もし世の中の人間全員が同じ感覚を持ち、際限なく欲求を追い求めたら、一体世界はどのようになってしまうのだろうか?大変背筋が寒くなる思いがする。
この欲求はどこまで続くのだろうか?もちろん、より快適に暮らすことは素晴らしい事だと思う。しかし、自分の欲求のために、周りの人の事は犠牲にしてしまう感覚は、本当に怖いと思う。
自分は使いたくないような製品やサービスを、人に勧める人もたくさんいる。利益のためには仕方ないという人もいる。まさに自分自身の欲求のために、他人を犠牲にしている典型的なパターンだ。
この先に待っている世界はどのような感じであろうか。
他社と競争し、お金を、土地を、権利を、利益を奪い合う事が世の中だという社会に生きてきたけれど、本当にそれで良いのか?ウルグアイのムヒカ元大統領の言うように、世界中が車やその他の物質を追求したら、世界はたちまちパンクしてしまう。実際に資源の奪い合いなどで戦争はなくなる気配がない。
人は支えあってこその生き物
人間は本当に孤独に生きていくことは出来ない。誰の世話にもならず、誰ともかかわらずに生きていける人は、この世の中にまずいないだろう。人は人と触れ合い、人と支えあって生きていく生き物だと思う。そのために高度に発展した脳を持っているのだと思う。感情で行動するのではなく、しっかり考えて行動する。それが出来る生き物だ。
その意味で、今人間は、『原点回帰』する時ではないかと感じる。もちろん、全ての文明を捨てるなどという事ではない。人としての本質を見つめ直し、自然の中で活かされている事を知り、人と、自然と共存していく道を歩むべきだろう。またそのような時代に、少しずつシフトしているようにも感じる。
ソーシャルマインドが求められる
これからの時代は、人と人との関係性が、これまで以上に重要になってくるだろう。コミュニティの重要性が益々増してくるだろう。お金では買えない、人との関係性が重要になってくると思う。それはお金だけで判断される社会は続かなくなると思われるから。
今後益々寿命が延び、人生100年時代に突入する中で、これまでのようなサラリーマンを定年退職して、退職金と年金で余生を暮らすというライフプランが破たんするだろう。そうなると、お金だけで問題解決することが多くの場合不可能になることが想定されるから。
お金で物を買う。金があるから何でもできる。そのような時代から、物々交換や事事(コトコト)交換のように、コミュニティの中で、自分が出来ることを提供することで、人から何かを提供してもらう。それにより生きて行くことが出来る。
自分自身の価値観の変化
自分自身、若いころは上昇志向が強く、様々な競争に「勝ってきた」と思う。しかし45歳を超えるころから、徐々に価値観も変わり、50歳の今、以前とは全然違った感覚を持っている。決して落ち着いたという感覚ではなく、以前にも増して情熱がある。ただ、その情熱の向いている先が、以前のように物質や、経済による成功ではなくなったという事だ。
車も手放し、テレビも手放し、シンプルな生活を好むようになった。飽食よりも、健康志向が強くなった。競争よりも、協調や共存が大切に思えてきた。かといって人に強制するつもりもない。人はそれぞれの価値観に基づいて生きている。もちろん私も。
ただ、私が今感じているような感覚に、一人でも賛同する方が増えれば、ほんの少しずつだけれども、社会は変わっていくのだろうと感じる。
自分の成功のために、周りを犠牲にすることなく、周りの方々と共に幸せに暮らしていける、そんな社会が実現することを願って、自分自身、シンプルに生きて行きたいと、今感じています。
KA-TSU
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